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高松宮宣仁親王殿下の若き日の思い②:「高松宮日記」第一巻からの抜粋   

中央公論社「高松宮日記」第一巻からの抜粋の第二弾です。
本記事は大正12年(1923年)のお日記から引用させていただきます。

誤字脱字は修正し、漢字の宛て方、送り仮名の送り方、仮名遣いは
現代の読者に読みやすいよう改変してあります。



※以下お日記からの抜粋引用


大正12年(1923年) ―海軍兵学校時代―

1/24「佃さん(注:第52期)風邪にて入室。全快の速やかなるを祈る。無理をしたのだろう」

1/27「佃さん退室さる」

2/1「今朝から佃さん体操に出られた。ただし未だ風気なり」

2/7「佃さん第一クリューの方へ編入。第一クリューがレース・コースを9分40余秒、代にクリューが十分余り。他分隊に比し一二分早し。さもあらん、日々朝夕二回(この頃は)の練習は当日の必勝を期す。しりの皮をむいた人多し。佃さんもその一人」

2/18「昨朝『浅間』が呉へ帰った。あまりすぐ過ぎるとは思ったが西村さんが来るかと思っていたが来なかった」

2/19「今朝何かの折『昨日は殿下のお謹慎なのに、騒いで(分隊会)申し訳ございません』と佃さんが言ってくれた。ほんとに佃さんは一番、気を使ってくれて、面倒を見てくれる。昨年退校した大瀧さんも非常に親切にしてくれたのに。今後大瀧さんも交際してくれるとよいのに」

2/20「何だか気分が引き立たぬ。万物春めき、我が心も春めき悩まし。異性に対し恋もなきに、またやはり同性愛か。さりとて相手も見つからぬ、同性愛は禁物だのに。もう懲り懲りしてるはずだのに」

2/24「一時四五分より射撃に。…佃さんに銃を貸した。(私の銃はよく当たる銃だ)。(佃さんのが良くないので)。分隊監事は嫌な顔をするかもしれないが。そしたら三十三点とった。うれしかった」

2/25「西村がちっとも来ないから左の二首:
     春雨にしぐれ村雨雨垂れの音のみ高く君は音もせず
     春の日は早く暮れにし村寺の鐘の音のみ君は音もせで 」

3/11「今日は西村さんが来るかと思っていたら、金澤という学校の主計兵に伝言で休暇からは帰ったが、お父さんが悪いとかでわた一週間休暇で帰省してるそうだった。それでそれから戻って来るよし。父君の全癒を祈る」

3/17「三時の定期で西村さんが来た。朝電話をかけてよこしたので待っていたが中々来ぬので夕食にもなったから学校へゆきかけたところに来て会った。山下がいるので何だか話にくいので帰りがけに生徒館へよれと言って生徒館に行った。六時前に来たのでとりとめないことを話した。ほんとに久しぶりで嬉しかったが、ぐずぐずしていて定期を外させてしまって後悔した。紙面がないから話は書けぬが、お母が悪かったのだそうである」

3/18「午後別になし。[略(検閲による削除)]昨日西村に会ったので今日は何となく気が晴れ晴れする。珍しく良い日曜だった」

4/1「三高に大瀧さん入れるかと思っていたのに新聞紙上にその名が出ていなかったどうなさったのか」

4/8「何心なく官報を見ていたら大瀧さんが静岡高等学校に入学しているのを見出した。やっぱり三高はいやなんだろう。ほんとに嬉しく思った」

4/9「大瀧さんから佃さんに静岡高校入学を知らせて来た由。佃さんから音信絶えていたのを名を書かずに手紙をだしたその返事が来たのだそうな」

8/27「佃さんと話す機会なしにすんだ。夜八方園(注:校内の小高い丘)に来たらしかったけれど、双方から言葉をかけずにしまった。人違いするととんだ目に遭うから。…七月、分隊編制換への時分の日記はつけなかった。私の心は佃さんと分隊を異にすることになったことに痛まされきっていた。編成換の朝だったか、『私は人から注目されているから、することはそのつもりで注意するように』と言ってくれた。学校中に佃さんの外に私は友を持たない」

8/28「気が重々しくて教室から寝続けた。…こんなことは未だないことだ。佃さんに挨拶だけした。ほんとに分隊が変わっては私としてはうまく気がすすまない」

8/29「朝食前、山田さんと話す。山田さんも私が親しみを感ずる人だ。佃さんとは趣を異にした友達だ。このほかには兵学校に親友を持たない。水泳はしない。午後はさんざん居眠りしてやっと少し気が晴れ晴れした。おまけに自習中休みに佃さんに会えた。まるで逢引きでもするような気持で。ただし、中休みにはいつも来てくれるとなると、相すまないような気もする。佃さんは私に会わなくってもよいのだから。私だけ我慢すればよいのだ」

9/1「佃さんにお互いに歯に物のはさまったような気持ちのなくなるように腹の底から末長く親しい友達、二人とない友人、異身同心の友になってちょうだいと言いたい。そんな機会があるだろう。佃さんが快く友となってくれるだろうか。願わしいことだ。他人の知らない仲良しの友となってくれるだろうか。今も、もう親友ではあるけれども」

9/2「東京方面(震源鈴川付近)に強震ありて、東京は各所に火災等あり。何分中途で電信電話不通。中央電信局火災で様子が分からない。とりあえず、お見舞い電報を出したが日光へは着いたけれども、東京にはゆかない。何しろ大変な騒ぎに違いない」

9/3「佃さんも横須賀の兄上の家庭を気遣って帰りたいと言いだしたが許されなくって心配していた。艦隊も帰るそうだから佃さんの兄様も横須賀へ行けるだろう」

9/8「夜、佃さんが来て昼ごろ電報で横須賀の兄さん一家は家族は皆無事と言ってきたそうだ。何だか私も安心してしまった」

9/9「この頃八方園の裏に行っても(自習中休)佃さんに会えない。早く生徒館に引き上げるせいかしらん」

9/11「朝食前、山田さんと散歩す」

9/12「朝、坂部少佐が私に、十七日の黄海海戦記念日に教官対生徒の硬球の庭球試合をするそうで、私にもでるようにと言った。佃さんはどうして私に相談してくれないのかしら、もうこの頃は八方園でも夜会わないし、関わってくれない気かしら。いやそんなはずはない。うまく会えないからだろう。だから、まだ間にわだかまりがあるのだ。それさえなかったらきっと会えるのだ。何にしろ佃さんに断ってもらわなければならない」

9/13「どうもこの頃学科の時は佃さんに会うけれど人中だから駄目。その他の機会がなくてしかたがない」

9/14「佃さんはもう私にそんなに情を動かしていないのかしら。片思いは覚悟の上だが、仕方がない」

9/15「夜自習時間に魚住が(十二分隊体技掛)十七日の教官対の庭球に出てくれというから、出来ないからと断ったが、組を作ってしまった。佃さんに会って断ってもらおうと思ったが自習室に入っていくわけにもゆかず妙長のことにする。坂部さんはいやな顔をするだろう、私が出ないなど、言ったら」

9/16「朝魚住に『庭球はいや』と言った。佃さんに会うと思ったら、日野につかまって振り捨てかねてその機を失った。外出後、集会所のコートに佃さんと前田と佐藤(この人はしらない)が来てやっていたから、そこへ行って断ってくれと頼んだら迷惑そうだったけれども、そして佃さんは一向関係していないので前田が定めたのだとのことなりしも頼んだ。ちょっとラケットを振ったら航海科長が来たので逃げ帰る。佃さんと会えてうれしかった。試合に出ないでテニスなんかしたら愈々にらまれる。会えば佃さんだって私を捨てはしないのだもの。何とかしてくれるって」

9/17「後庭球、野球の試合あり。また私に出ぬかと教官が赤塚に言わしてきたから断る。惑ってしまう。佃さんはやはり出た。気の毒な事をした。それにとんだ迷惑をかけてしまった。午後集会所の『コート』にちょっと来ていたようだったけれど、帰りかけを見ただけだったので会いそこなった」

9/18「佃さんに会って昨日我儘をぶっ通して気の毒な、またすまないことだったと詫びて、気がせいせいした。出なかったことを悔ゆるのではない。人々の気分に幾分かに影を投げかけたことを恐れるのだ」

9/19「大講堂の裏で佃さんかと思って見たら、他の人らしかった。もすこしで声を出すところだった」

9/22「佃さん(伍長補なれば毎日点検を受ける)に会いに行くつもりで行ったが、どうも気後れがするような気持ちがして空しく引き返してしまった。午後はなぜか落ち着かなかった」

9/24「遙拝式後剣道試合あり。十一時に終わる。外出。佃さんも勝たなかった。前田さんも勝たなかった。なぜだろう。佃さんの勝たないことは私にある感じを増す」

9/25「夜、佃さんと久しぶりに歩く。勉強かと言うから、佃さんがちっとも遊んでくれないから、ぼんやりしていると言ったりした。日曜にには集会所に行くから、テニスをしようとも話した。だけどもテニスをすると坂部少佐は試合に出ろというのだから、もうテニスをしないと言ったら、そんなことのないようにするからと言ってくれた。佃さんになら迷惑をかけても私はよいような気がする。変なことだ」

9/26「午後十一分隊と野球があった。負けちゃった。佃さんも出て生還す。考査がじきだが、勉強する気になれぬ。七月以来の分隊編制換えで気が変になってよく講義をきかなかったたたりだ。また今でも勉強してると心が他へ飛んでしまう」

9/28「自習中休みに大講堂側(いつも佃さんと会う所)で佃さんとばかり思って耳のそばで拍手した。振り向く顔をよく見たら人違い、頭がボッとしたが、よく見たら今川さんだったのでやっと安心した」

9/29「試験勉強する気なし。でもこの頃は佃さんとも会えるので気分はすごくよい」

9/30「午後別になく。試験勉強はそっちのけ。夜、佃さんに会ったら中休みにも勉強なされまし、と言ってくれた。実は私が言おうかと思って考えていたことだった。ほんとによく気をつかってくれる」

10/6「佃さんは自習中休みにも来てくれぬらしい。ただしこの頃は大講堂裏に人が来るのでよくわからぬ。私との交際を内心いやに思ってらっしゃるのかと言う気がする。私はどう考えてよいか分からない。私のしつこさにも嫌気がさすだろうが。互いに語って断定をつけようかしら。それもどうか。私はどうしても孤独であるべきだ。そうだそうだ」

10/7「有志者『二河川』にて宮島へ行く。余は行かず。行けば安寧を妨害するのみ。佃さんは行かなかったらしい。佃さんが行けば私も行くのだが、だけども、二人ぎりでない、駄目だ。…山田さんも今日は宮島へ行くのをやめた」

10/10「佃さんと親しく出来ないなら、もう誰とも交わらない。こう考えても煩悩の浅ましさ人恋しくなる。ここで交わるとは心の交わりだ。物質的の交わりは やがて心の交わりになるから『交わり』は裂くべきだ。山田さんとはやはり私の慰安の対象という意味で交わる。矛盾だ。煩悶だ」

10/13「月曜日の朝『長門』で東京へゆくことを佃さんに話した。このことは佃さんだけにしか話さなかった。明日にでも赤塚には話そう」

10/14「小降りだったので(注:広島へ)ゆく。外套を着て(注:馬に)乗る。佃さんも高師の剣道大会を見に来た。午後赤塚、日野などと歩く。佃さんが話でもしたのか、本屋に連れられた。そしたら、佃さんもやってきたが、他の人がいるので一緒になりにくく、別れたが電車で一緒になった。三時半宇品発帰校。外套を通してぐしょぐしょになる」

10/15「六時四十五分(注:長門で東京へ)出発。その前に佃さんに会ってと思ったが、その機を得ず」

10/28「帰ってみたら、佃さんが集会場のコートでしていたので食事をして降りていってした。じきに武田大尉が来たが、あんまりすぐだったのでやっていたら、そろそろ来そうなのでやめて、西村をききに火薬庫へゆく。門の道を間違って右へいった、引き返すもいやなので、山を越して帰った」

11/2「佃さんとも中途半端の状態、いつまで続くことやら。どうしたらよいか分からない。世の中は総てのことは馬鹿げたことばかりだ。ただ自己のみが真面目なのだ。それをも茶化してしまうべきだろうか。私には佃さん一人が真面目の対象としていて欲しい」

(以上大正12年終)

# by bulbulesahar | 2011-09-17 18:54 |

高松宮宣仁親王殿下の若き日の思い①:「高松宮日記」第一巻からの抜粋   

高松宮宣仁親王殿下(1905/1/3-1987/2/3)は大正天皇の第三皇子、
昭和天皇の弟君でいらっしゃいました。
中央公論社「高松宮日記」第一巻に記された若き日の宮さまの(特に同性に対する)感情生活が非常に興味深く、感銘を受けましたので、これから3回にわたってご日記を抜粋して紹介させていただきます。
本記事は大正10年(1921年)の分です。

誤字脱字は修正し、漢字の宛て方、送り仮名の送り方、仮名遣いは
現代の読者に読みやすいよう改変してありますので悪しからず。

既に幽明境を異にされたお方の日記とはいえ、
このような内容を載せるのは不謹慎・不敬との声もあるやもしれませんが、
この日記を僭越ながら大いなる共感を以て読ませていただいた私としては、
偽りなき心情を紙面に明らかにされ、
日記として記録に遺された親王殿下に感謝を捧げたい気持ちでいっぱいであり、
このような記録が他の人々の感銘や共感をも呼び、
あるいは勇気づけることもあるのではとの思いから、
あえて上掲の著作から引用させていただくことにいたします。




※以下お日記からの抜粋引用


大正10年(1921年) ―海軍兵学校(江田島)時代―

4/2 「この頃以来空想を楽しむ。空想にわが希望を実現し、わが煩悶を慰め、わが欲心を満たす。誰が空想を以て自らを慰むることを知らざるか」

4月補遺「講堂当番の有田正熊(一等水兵、志願兵)は満期につき、(林勝美の代わりが欠けている)になりたいというけとで身元調べもし、本人にも仕人がよい役でないことを言い聞かせたるも考えをかえず。とうとう仕人に採用することにした。私の目からは彼は真の百姓的でどちらかといえば、遅鈍なるもまたそこが使いどころかもしれぬ。その代わりに西村というのが来た。有田よりはたしかによい。お百姓だそうだが、新しみがあるようだ。(未だよくあたっては見ないが)」

6/9「西村に一寸、私なんていうものは病人みたいに世の中に何にもせずに食っているのだ。真に無意味だよ、ていう意味のことを聞かす」

6/20「西村が教室のペン軸が少し尻の所のおれているのを見て、呉に行ったとき一本買って来ましたといって見せるから、後のお礼は出来まいと思ったが、無下に断るも何と思うてもらってしまった。十三四銭のものだろう。これが妙な結果を起こさねばよいが。なんでも西村に接近するにあるから、どんなことでも私の方はするが、あっちの方面の迷惑にならぬようにしたい」

6/22「西村が何かのついでに『呉に行って買ってまいりましょう』というからそう面倒ばかりかけてはすまぬというが中々きかぬから「や、色々慣例もあるから」とて断る。真に余り色々もらって妙な結果(学習院でこりてる)になると困るから」

6/28「西村が私と話などするからどうしても他の水兵と一緒にならぬといっていた。どこに行ってもこれだから私は独りで孤独に泣かねばならぬのだ。西村には気の毒だが、今私として絶交するのはちょっとこまる」

6月30日(別紙)「西村が昨日、生徒隊監事のお所に呼ばれて予が本科になったら、も一人ふやして隔日の勤務にすると言われたから、今でも、他の水兵と一緒になれず、どうしても独りぼっちになって、午後から何にもすんでから退屈で、無聊で、遠慮ばかりでほんとにしょうがないから西村一人でやりたい、隔日にでもなると益々無聊になるから、と言ったそうで、私にも何とかしてくれと言うような口ぶりであった。そう言ってやろうと言うことにした。勿論、私が西村から聞いたなどとは言いやしない、その辺は心得ていると言っておいた。ただし、西村は急に「常盤」から一人で来たのだし、おまけに私のそばに多くいるのだから、友達は出来にくいだろうから、この夏休みにでもなり、私がここから東京に帰ってるうちには交際する人もでき、また二人にでもなれば、その来る一人はたしかに西村と交際するにちがいないから、却ってよくはないかと私は考えないでもないが、武官の方を少しつついてみよう。真に私の行く先々では必ず、仲間はずれを作ったり、人に迷惑をさしたりするのだから嫌になってしまう。学習院のときにも佐藤さんなどはその部であろう。気の毒だといって、私としてどうも手がつけられないのだから尚更、自分の心を痛めるばかりである」

7/3「生徒館の方では西村が用を足して、その事故の時に、も一人の方がするのだと岡田が言ってた。予防線のつもりで、『私のあらを見られると恥ずかしいから』と言っといたが、これで西村でない方が『はずかしい』と了解したかどうか」

7/14「西村が一般の家庭などの内情をご存じになるのはご必要ですが、ちょっとはお分かりになりますまいと言う。中々気のきいたことを言う。これだけ了解して話してくれれば私のほうは真にうれしい。今はその時が足らぬが生徒館の方で十分に話してくれたら私の知識も進むだろう。楽しみだ」

7/16「二時半頃西村が柔道の稽古着を持ってきたから、自習室に連れ込んで四時まで話をする。西村の迷惑にならねばよいが」

9/12「夕食前に生徒館へゆく。生徒館ではほんとに落ち着けないような気がする。時間がおそい。西村でも話に来てくれたらな。また呼んで問題にされるのもいやだ」

9/13「西村が一人では忙しくてやりきれぬからとて篠原を常に連れて来ることにした」

9/14「西村さんが東宮殿下御帰朝で詠んだ歌『かしこくも東宮殿下の外遊は瑞穂の国や栄ゆまつらん』(外遊はヲに。栄ゆ云々は栄まつらんとしたら、と思う)」

9/15「西村がよんだ歌『おすがたを拝する毎にうれしきやおそれ多くもまたかしこけれ』(私を見るのでよんだそうな。自分でもうまくまとまらぬと言ってたようだが、言うことが簡単で三十一文字にならぬような風でつくりにくい。私にもいかにしようとも工夫なし)」

9/16「生徒館で入浴。久しぶりで西村さんに流してもらう。夕食後じきに岡村が散歩しようとて来るから伍長その他二三人と練兵場を往復す。練兵場を行ったり来たりしても面白くなし。話は一向にはずまず。相手が生徒ではあるし私の方でも気乗りがしない。そんな時間に西村さんに甘えてたらどんなに慰安になるかしれない」

9/20「西村さんに何かの話のついでに、陛下のご不例のことを言った。少し言いすぎたかもとも思ったが、わたしは世界中でだれよりも西村さんを信頼していて、何一つかくそうと思うことはない。それで西村さんも心痛の色を顔に浮かべてくれた。ほんとに私の頼りとし愛敬するのは西村さんだ」

9/21「西村さん小銃の検定で七十点なりしと。今までは八十点以上なりしと。どうしたのか」

9/22「西村さんに立射のとき背負い皮を伸ばして左手の肘をかけて撃つと銃がよく座ると教えてもらった」

9/24「今日の西村の態度(私に対する)が、少し常と異なるように思う。武官が何とか言ったのか。武官がおだてて、岡村生徒でも何とか言ったのか。真に不愉快であった。益々生徒とはつきあう気にはならぬ」

9/27「西村さんがもとのような態度になった。こないだはどうかしてたのかもしれない」

9/28「この頃は西村さんともよくつきあえて心機、爽やかなり」

10/4「西村さんと話をする時がない(この頃は)。だけど西村さんの方では、うるさくなくてよいだろう」

10/7「ほんとに西村さんと会話するときがない。先方では平気だが私はほんとに淋しいような気がする。どうして西村さんは以前ほど、私を可愛がって下さらないのか。先方にはもう話相手も出来たろうが、どうして私に西村さんの代わりが得られようか。ほんとに淋しい」

10/11「西村さんが近頃以前ほど、私に好意をもって全てのことをしてくれないように感ず。どういうわけか私には分からない。別に私が西村さんを怒らすようなことをしたつもりなし。あるいは分隊監事か武官が私に接近せぬようなど言ったのではないか。そうでないならば、ほんとに私は悲しい。西村さんに離れられてはどうして慰めてくれる人があるだろうか。一時も早く以前の態度に復してくれることを祈る」

10/12「今日大講堂の教室の机の筆入れに短くなった鉛筆を入れっぱなしにしといたら、新しいのを西村さんが持ってきて、私のいないときに、入れていって下さった。そこで、全く西村さんが私に好意を持っていないのでないことを知って、どんなにうれしく思ったか知れない。日常、私に接近してくれないことはくれなくとも、私を思ってくれることだけでもうれしい」

10/20「西村さんは少しも私に会ってくれぬ。もう私など可愛がってくれぬのかしら」

10/22「西村と顔を合わせたが、どうしても以前ほどの親しさで顔を向けてくれない。ほんとにどうしてあんなに私から離れていってしまうのだろう。悲惨悲惨」

10/24「今日は西村さんが親切な顔で見てくれた。一体西村さんはどういう気かしら。ほんとは私を可愛がってくれる気があるのだろうに」

10/28「西村さんはまた以前のような親しい顔で会ってくれる。私の心は晴れ晴れしい気分になった。また眼に『ものもらい』が出来たようだ(西村さんの)。(実はそうではなかった。目のふちを打ったのだ)」

11/1「伊達さんが三等看護兵曹に、西村さんが一等水兵になった」

11/8「西村さんの手伝いに来てる篠原が退校する代わりはまだ決まらぬ」

11/11「この頃は西村さんも大いに好意を示してくれるが、やはり話などする機会は与えてくれぬ。これは今のところしかたなし」

11/18「やっぱり西村さんは本当に私を愛してくれぬ。同性愛ということを理解してくれないのかしら」

11/28「西村さんほんとに私を何とも思ってくれないようになってしまったようだ。私はほんとに常に孤独でいなければならぬのだろうか。淋しい淋しい淋しい」

12/4「西村さんが親切そうな顔を向けてくれた。ほんとに両方で遠慮と疑いっこしてるようだ。でも嬉しくって嬉しくって」

12/7「西村さんは親切にしてくれるように復しそう」

(以上大正10年終)

# by bulbulesahar | 2011-09-17 18:46 |

Omnia vincit amor, sed....   

なかむらたかしのアニメがもう単に好きというレベルではなくて、
ほとんどフリークという感じなのだけど、
「パルムの樹」にしても「ファンタジックチルドレン」にしても、
「主人公がヒロインと最終的に結ばれない」というパターンの意味を
あまり深く考えてきてはいなかった気がする。

これらの作品には男2人と女1人の(パルムは人形だけど(笑)、男の子だろうな)
典型的な三角関係があるのだけど、
主人公的な立ち位置にあるキャラクターはヒロインと、
心の深い所で交感しあう部分を持つ関係性を持つにもかかわらず、
結局はより男性性のまさったキャラクターに恋愛の座を譲り、
自分は「人間でない」位置からカップルを見守ることになる。
あと、主人公キャラは中性的な位置にあって、
もう一人の男性キャラに憧れの感情を持っているようにも思える。
この点は今回あまり深く突っ込まないことにするけれど。


こんな展開を喜ぶなんてドMか?という話になってしまうが、
それでも胸を打たれてしまうのは、
主人公のいわゆる恋愛を越えた愛の形ゆえだろうか。
彼らは結局カップルを守護霊的に遠くから見守ることになるのだけれど、
その関係性が、カップルの恋愛関係より希薄だとか、
劣っているとかいうことはないのではないか。
むしろそこにより純粋な関係を見てしまうからこそ感動するのだなと思う。
勿論、人格を持った存在が「人でないような」立ち位置になるというのは並大抵のことではなく、
そこがまた切ないのでもあるけれど。


一般に異性愛の恋愛的愛情関係が至高かつ最も親密な人間関係とされることもあるが、
それは社会的に構成されたジェンダー表象の差異の
電位差が生む牽引力に頼っている部分もあるし、
(同性愛はその男女はっきり分かれた二極構造の役割分担やら
 圧倒的な牽引力のある種の粗雑さやらへの反発に、
 その要因の一つ(あくまで一つ)を持っていると言ったら、少し肩を持ちすぎだろうか)
排他的かつ傍若無人で、互いに熱に浮かされて打算や幻想に気付かなかったり、
支えあっているようでエゴイスティックなまでに共依存だったりで
(↑これらは同性間の恋愛でも当てはまるが)、
そりゃあ当人らにとってこれほど幸せたりうる関係はないのかもしれないが、
いたずらに理想化するものでもないと考える。
まあ、単に抑制がきいているいるだけではなくて、見返りを全然求めないような愛も、
ともすると病的なものになるというのも認めますけれどね。


思うに、わたしは恋する男女双方と親密になるあまりに彼らに接近しすぎ、
ちょっと大袈裟だが情念の地獄に苦悶するようなことがいくらかあったような気がする。
(まあ同性愛的な要素が大きいことも結構あったのが上記作品とは違うが)
それは単なるお邪魔虫だったのか、
それとも恋愛関係をある程度安定化させる
媒体のような働きをしていたのかは定かではないけれど、
私じしんの性質のなせる業なのかもしれない。
そんなこともあったので、
パルムが自分が樹になる未来を直観したこともすこし羨ましく思えて、
こんな反恋愛論みたいなものを書いてしまうことになったのだろう。

# by bulbulesahar | 2011-09-16 23:17 |

どぅうちゅいむぬいい   

たばくぬまんちゃるあまさるいゃあかじゃ、
ちゅとぅちわあとぅないんかいあたるいゃあどぅうぬぬくさあ、
わしいらなんでぃうむてぃんちゃあしんわしいららん。
うりうびんぅじゃしいねえちむぐくるぬくりさぬ、
どぅうとぅしけえぬさけえめぬわからんぐとぅなてぃねえんてぃ、
ふんびちんうしなてぃ、
うとぅるさるくとぅんちぶるぬなあかんかいわちゃがいん。
わあうむええ、いいどぅんせえゆくやあらん、
ちゅらさるむんどぅやるんでぃうむとおん。
やくとぅわんねえ、いゃあとぅあぬゐなぐがたげえにうむてぃあしぶせえ、
ぬうんししかいるちむいぬねえらんしが、
ありがいゃあすくぇえさしみてぃ、いゃあがちかりらんがあら、
うりびけえしわそおん。
なまわんにんかいや、いゃあんぅまりどぅくるぬ、
いゃあがすだちゃるみじやてぃんぬでぃ、
どぅうなぐさみらやかしかたぬねえらん。
やしが、あったあたいがわあめえんかいをぅいなぎいな、
あんしぼうじゃくぶじんそおいせえちゃあるわきがやら、
むさっとぅわかららんくとぅ、なあにじいかんてぃいしっちぇえん。
あんぐとぅさらんでえ、わあうむいかんしいしぇえにしいるくとぅんねえらんたるむぬ…。

# by bulbulesahar | 2011-09-16 01:37 |

使えるうちなあぐち会話:第0回   

前に投稿した「うちなあぐち文法提要」は、
沖縄語の文を作るための規則を余すことなく収録した上で、
それらを整理整頓して記述しようとしました。
ただ、沖縄語の文法体系の大伽藍を知らしめようとするあまりに、
ともするとその知識が頭に入ってきづらいものになっていたので、
この企画では、よく使いそうな表現を解析することで
応用力(つまり会話・作文力)の向上を目指そうと思います。

ただ、筆者は沖縄の人間ではないので、表現方法に「和臭」がどうしてもでてくると思われます。
もしよりよい表現方法がありましたらご指摘いただけたらと思います。



第0回:「ワタクシニホンゴワッカリマセーン」的な表現

例えば、沖縄で年配の方にいきなりうちなあぐちで話しかけられたときには…

「我ねえ沖縄口ぬ分かやびらん。大和口っし語てぃ呉みせえびらに?」

(読み:わんねーうちなーぐちぬわかやびらん。やまとぅぐちっしかたてぃくぃみせえびらに?)

《日本標準語訳:私は沖縄語が分かりません。標準語で話してくださいませんか?》


【解析:わんねえ+沖縄口+ぬ+分かい+あびらん。
      大和口+っし+語てぃ+くぃい+みせえ+びらん+い?
       ⇒私は+沖縄語+が+分かり+ません。
         標準語+で+話して+くれ+(尊敬)+ません+か?】

  以上のように沖縄語文→読み→標準語訳→解析のバターンで進めることにします。
 (以後は上の4つをカッコの違いだけで区別することにします)
  文法的解析は、基本的に上記のように標準語との対照関係を示す方式にして、
  適宜注意点を挙げることにしようと思います。
  文法用語で厳密に説明しても煩瑣かつ分かりにくくなるだけのような気がするので。

・上の文の注意点
 ①「わん」が「私」で「わんねえ」が「私は」ですが、「ねえ」は「…は」ではありません。
   「わん」の後にだけ来る不規則な形。
 ②「沖縄口ぬ」の「ぬ」は標準語の「…が」に対応しますが、
   「…が」を沖縄語で表現するときは、大体
   「が(人称代名詞や人名、それから準体名詞)」と「ぬ(それ以外)」を使いわけるようです。
 ③尊敬表現の「…みせえん」は標準語よりも使用範囲・頻度が高い
  (京言葉の「…はる」ほどではないにしても)ようです。
  「沖縄方言ニュース」でも地の文で結構使っていますので…。
 ④「…か?」は今回「い」を使いましたが、
   これは標準語で「終止形」を使うような場合には使えません。
   つまり「…するのか?」というような場合には別の表現を使います。
   「い」が使えるのは「…しないのか?」「…しようか?」「元気か?(名詞の後)」、
   あと係り結びの連体形の後などです。


今回の表現は、もっぱらこの企画の方針説明のために半ば冗談で作っています。
だいたい沖縄語でこんな返答をしても
「うちなあぐちができるんだね!」って思われるだけでしょうし(笑)
次回からはもう少し簡単で、かつ応用範囲の広そうなものを題材にしようと思います。

# by bulbulesahar | 2011-08-07 02:16 | ウチナーグチ(沖縄語)