高松宮宣仁親王殿下の若き日の思い②:「高松宮日記」第一巻からの抜粋
2011年 09月 17日
本記事は大正12年(1923年)のお日記から引用させていただきます。
誤字脱字は修正し、漢字の宛て方、送り仮名の送り方、仮名遣いは
現代の読者に読みやすいよう改変してあります。
※以下お日記からの抜粋引用
大正12年(1923年) ―海軍兵学校時代―
1/24「佃さん(注:第52期)風邪にて入室。全快の速やかなるを祈る。無理をしたのだろう」
1/27「佃さん退室さる」
2/1「今朝から佃さん体操に出られた。ただし未だ風気なり」
2/7「佃さん第一クリューの方へ編入。第一クリューがレース・コースを9分40余秒、代にクリューが十分余り。他分隊に比し一二分早し。さもあらん、日々朝夕二回(この頃は)の練習は当日の必勝を期す。しりの皮をむいた人多し。佃さんもその一人」
2/18「昨朝『浅間』が呉へ帰った。あまりすぐ過ぎるとは思ったが西村さんが来るかと思っていたが来なかった」
2/19「今朝何かの折『昨日は殿下のお謹慎なのに、騒いで(分隊会)申し訳ございません』と佃さんが言ってくれた。ほんとに佃さんは一番、気を使ってくれて、面倒を見てくれる。昨年退校した大瀧さんも非常に親切にしてくれたのに。今後大瀧さんも交際してくれるとよいのに」
2/20「何だか気分が引き立たぬ。万物春めき、我が心も春めき悩まし。異性に対し恋もなきに、またやはり同性愛か。さりとて相手も見つからぬ、同性愛は禁物だのに。もう懲り懲りしてるはずだのに」
2/24「一時四五分より射撃に。…佃さんに銃を貸した。(私の銃はよく当たる銃だ)。(佃さんのが良くないので)。分隊監事は嫌な顔をするかもしれないが。そしたら三十三点とった。うれしかった」
2/25「西村がちっとも来ないから左の二首:
春雨にしぐれ村雨雨垂れの音のみ高く君は音もせず
春の日は早く暮れにし村寺の鐘の音のみ君は音もせで 」
3/11「今日は西村さんが来るかと思っていたら、金澤という学校の主計兵に伝言で休暇からは帰ったが、お父さんが悪いとかでわた一週間休暇で帰省してるそうだった。それでそれから戻って来るよし。父君の全癒を祈る」
3/17「三時の定期で西村さんが来た。朝電話をかけてよこしたので待っていたが中々来ぬので夕食にもなったから学校へゆきかけたところに来て会った。山下がいるので何だか話にくいので帰りがけに生徒館へよれと言って生徒館に行った。六時前に来たのでとりとめないことを話した。ほんとに久しぶりで嬉しかったが、ぐずぐずしていて定期を外させてしまって後悔した。紙面がないから話は書けぬが、お母が悪かったのだそうである」
3/18「午後別になし。[略(検閲による削除)]昨日西村に会ったので今日は何となく気が晴れ晴れする。珍しく良い日曜だった」
4/1「三高に大瀧さん入れるかと思っていたのに新聞紙上にその名が出ていなかったどうなさったのか」
4/8「何心なく官報を見ていたら大瀧さんが静岡高等学校に入学しているのを見出した。やっぱり三高はいやなんだろう。ほんとに嬉しく思った」
4/9「大瀧さんから佃さんに静岡高校入学を知らせて来た由。佃さんから音信絶えていたのを名を書かずに手紙をだしたその返事が来たのだそうな」
8/27「佃さんと話す機会なしにすんだ。夜八方園(注:校内の小高い丘)に来たらしかったけれど、双方から言葉をかけずにしまった。人違いするととんだ目に遭うから。…七月、分隊編制換への時分の日記はつけなかった。私の心は佃さんと分隊を異にすることになったことに痛まされきっていた。編成換の朝だったか、『私は人から注目されているから、することはそのつもりで注意するように』と言ってくれた。学校中に佃さんの外に私は友を持たない」
8/28「気が重々しくて教室から寝続けた。…こんなことは未だないことだ。佃さんに挨拶だけした。ほんとに分隊が変わっては私としてはうまく気がすすまない」
8/29「朝食前、山田さんと話す。山田さんも私が親しみを感ずる人だ。佃さんとは趣を異にした友達だ。このほかには兵学校に親友を持たない。水泳はしない。午後はさんざん居眠りしてやっと少し気が晴れ晴れした。おまけに自習中休みに佃さんに会えた。まるで逢引きでもするような気持で。ただし、中休みにはいつも来てくれるとなると、相すまないような気もする。佃さんは私に会わなくってもよいのだから。私だけ我慢すればよいのだ」
9/1「佃さんにお互いに歯に物のはさまったような気持ちのなくなるように腹の底から末長く親しい友達、二人とない友人、異身同心の友になってちょうだいと言いたい。そんな機会があるだろう。佃さんが快く友となってくれるだろうか。願わしいことだ。他人の知らない仲良しの友となってくれるだろうか。今も、もう親友ではあるけれども」
9/2「東京方面(震源鈴川付近)に強震ありて、東京は各所に火災等あり。何分中途で電信電話不通。中央電信局火災で様子が分からない。とりあえず、お見舞い電報を出したが日光へは着いたけれども、東京にはゆかない。何しろ大変な騒ぎに違いない」
9/3「佃さんも横須賀の兄上の家庭を気遣って帰りたいと言いだしたが許されなくって心配していた。艦隊も帰るそうだから佃さんの兄様も横須賀へ行けるだろう」
9/8「夜、佃さんが来て昼ごろ電報で横須賀の兄さん一家は家族は皆無事と言ってきたそうだ。何だか私も安心してしまった」
9/9「この頃八方園の裏に行っても(自習中休)佃さんに会えない。早く生徒館に引き上げるせいかしらん」
9/11「朝食前、山田さんと散歩す」
9/12「朝、坂部少佐が私に、十七日の黄海海戦記念日に教官対生徒の硬球の庭球試合をするそうで、私にもでるようにと言った。佃さんはどうして私に相談してくれないのかしら、もうこの頃は八方園でも夜会わないし、関わってくれない気かしら。いやそんなはずはない。うまく会えないからだろう。だから、まだ間にわだかまりがあるのだ。それさえなかったらきっと会えるのだ。何にしろ佃さんに断ってもらわなければならない」
9/13「どうもこの頃学科の時は佃さんに会うけれど人中だから駄目。その他の機会がなくてしかたがない」
9/14「佃さんはもう私にそんなに情を動かしていないのかしら。片思いは覚悟の上だが、仕方がない」
9/15「夜自習時間に魚住が(十二分隊体技掛)十七日の教官対の庭球に出てくれというから、出来ないからと断ったが、組を作ってしまった。佃さんに会って断ってもらおうと思ったが自習室に入っていくわけにもゆかず妙長のことにする。坂部さんはいやな顔をするだろう、私が出ないなど、言ったら」
9/16「朝魚住に『庭球はいや』と言った。佃さんに会うと思ったら、日野につかまって振り捨てかねてその機を失った。外出後、集会所のコートに佃さんと前田と佐藤(この人はしらない)が来てやっていたから、そこへ行って断ってくれと頼んだら迷惑そうだったけれども、そして佃さんは一向関係していないので前田が定めたのだとのことなりしも頼んだ。ちょっとラケットを振ったら航海科長が来たので逃げ帰る。佃さんと会えてうれしかった。試合に出ないでテニスなんかしたら愈々にらまれる。会えば佃さんだって私を捨てはしないのだもの。何とかしてくれるって」
9/17「後庭球、野球の試合あり。また私に出ぬかと教官が赤塚に言わしてきたから断る。惑ってしまう。佃さんはやはり出た。気の毒な事をした。それにとんだ迷惑をかけてしまった。午後集会所の『コート』にちょっと来ていたようだったけれど、帰りかけを見ただけだったので会いそこなった」
9/18「佃さんに会って昨日我儘をぶっ通して気の毒な、またすまないことだったと詫びて、気がせいせいした。出なかったことを悔ゆるのではない。人々の気分に幾分かに影を投げかけたことを恐れるのだ」
9/19「大講堂の裏で佃さんかと思って見たら、他の人らしかった。もすこしで声を出すところだった」
9/22「佃さん(伍長補なれば毎日点検を受ける)に会いに行くつもりで行ったが、どうも気後れがするような気持ちがして空しく引き返してしまった。午後はなぜか落ち着かなかった」
9/24「遙拝式後剣道試合あり。十一時に終わる。外出。佃さんも勝たなかった。前田さんも勝たなかった。なぜだろう。佃さんの勝たないことは私にある感じを増す」
9/25「夜、佃さんと久しぶりに歩く。勉強かと言うから、佃さんがちっとも遊んでくれないから、ぼんやりしていると言ったりした。日曜にには集会所に行くから、テニスをしようとも話した。だけどもテニスをすると坂部少佐は試合に出ろというのだから、もうテニスをしないと言ったら、そんなことのないようにするからと言ってくれた。佃さんになら迷惑をかけても私はよいような気がする。変なことだ」
9/26「午後十一分隊と野球があった。負けちゃった。佃さんも出て生還す。考査がじきだが、勉強する気になれぬ。七月以来の分隊編制換えで気が変になってよく講義をきかなかったたたりだ。また今でも勉強してると心が他へ飛んでしまう」
9/28「自習中休みに大講堂側(いつも佃さんと会う所)で佃さんとばかり思って耳のそばで拍手した。振り向く顔をよく見たら人違い、頭がボッとしたが、よく見たら今川さんだったのでやっと安心した」
9/29「試験勉強する気なし。でもこの頃は佃さんとも会えるので気分はすごくよい」
9/30「午後別になく。試験勉強はそっちのけ。夜、佃さんに会ったら中休みにも勉強なされまし、と言ってくれた。実は私が言おうかと思って考えていたことだった。ほんとによく気をつかってくれる」
10/6「佃さんは自習中休みにも来てくれぬらしい。ただしこの頃は大講堂裏に人が来るのでよくわからぬ。私との交際を内心いやに思ってらっしゃるのかと言う気がする。私はどう考えてよいか分からない。私のしつこさにも嫌気がさすだろうが。互いに語って断定をつけようかしら。それもどうか。私はどうしても孤独であるべきだ。そうだそうだ」
10/7「有志者『二河川』にて宮島へ行く。余は行かず。行けば安寧を妨害するのみ。佃さんは行かなかったらしい。佃さんが行けば私も行くのだが、だけども、二人ぎりでない、駄目だ。…山田さんも今日は宮島へ行くのをやめた」
10/10「佃さんと親しく出来ないなら、もう誰とも交わらない。こう考えても煩悩の浅ましさ人恋しくなる。ここで交わるとは心の交わりだ。物質的の交わりは やがて心の交わりになるから『交わり』は裂くべきだ。山田さんとはやはり私の慰安の対象という意味で交わる。矛盾だ。煩悶だ」
10/13「月曜日の朝『長門』で東京へゆくことを佃さんに話した。このことは佃さんだけにしか話さなかった。明日にでも赤塚には話そう」
10/14「小降りだったので(注:広島へ)ゆく。外套を着て(注:馬に)乗る。佃さんも高師の剣道大会を見に来た。午後赤塚、日野などと歩く。佃さんが話でもしたのか、本屋に連れられた。そしたら、佃さんもやってきたが、他の人がいるので一緒になりにくく、別れたが電車で一緒になった。三時半宇品発帰校。外套を通してぐしょぐしょになる」
10/15「六時四十五分(注:長門で東京へ)出発。その前に佃さんに会ってと思ったが、その機を得ず」
10/28「帰ってみたら、佃さんが集会場のコートでしていたので食事をして降りていってした。じきに武田大尉が来たが、あんまりすぐだったのでやっていたら、そろそろ来そうなのでやめて、西村をききに火薬庫へゆく。門の道を間違って右へいった、引き返すもいやなので、山を越して帰った」
11/2「佃さんとも中途半端の状態、いつまで続くことやら。どうしたらよいか分からない。世の中は総てのことは馬鹿げたことばかりだ。ただ自己のみが真面目なのだ。それをも茶化してしまうべきだろうか。私には佃さん一人が真面目の対象としていて欲しい」
(以上大正12年終)
# by bulbulesahar | 2011-09-17 18:54 | 虹