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『物語における時間と話法の比較詩学―日本語と中国語からのナラトロジー』amazonレビュー(バックアップ)   

日本語小説の構造を論じるなら、必読

物語における時間の語り方、そして話法の形式を日中の小説をもとに分析し、
時制や間接話法が明確ではない言語の視点から物語論を見直そうとする本書、
なにぶん大部なので日本の小説における「ル形(いわゆる現在形)」と「タ形(いわゆる過去形)」を検討した箇所しか
十分に読めてはいないが、それでも非常に面白かった。

まず物語とは「語り手」が過去の出来事を語っていくという通念にたいして、
ジュネット等の物語論のオーソドックスな流れにおいては、
物語機能と言ってもよい「非超越的作者」(作品に意図を行き渡らせ解釈を統御することはないという意味で「非超越的」である)が、
物語世界の外側から物語を語る(場合によっては物語世界内に設定された語り手を通して語る)構図が採用されていることか示される。
そして日本語の物語では特にこの図式が強く、
物語り行為を行う永遠の現在(物語現在)を現在に設定して、
そこから眼前の物語のシーンを実況するかのように語るのが基本であるという。
従って「タ形」は設定された現時点から回想する「過去」の意味で用いられることもあるにせよ、
多くの場合、何らかの新たな展開(主に時間的な)が生まれたことを示すマーカーであり、
一種のコマ送りのような機能を果たすことになる。
他方、「ル形」は主に動作や状態そのものの記述を担うのである(そこから継続などの意味も派生してくる)。

一般に「タ形」は「過去形」と捉えられており、日本語に首尾一貫した時制システムが無いことは理解していても、
じっさい小説の中で「ル形」と「タ形」が入り乱れていることはどう考えたものかと悩ましかったのだけれど、
だいぶ見通しが良くなったように思う。
翻訳を行う際などにも参考になる本ではないだろうか。
様々な言語に通じた著者だけに「英語に比べて日本語は非論理的」式の浅薄さをはるかに超越し、
堅実かつ繊細な分析を行っていて、非常に胸のすく思いがした。

by bulbulesahar | 2017-06-26 16:04 |

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