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私訳・花散里   

岩波文庫版であるが、少し前に源氏物語を読み終えたので、
千年前の和文体に自分なりに沈潜したその成果というのでもないが、
一つの区切りとして、掌編『花散里』の帖を現代語訳してみた。

訳のあり方としては、当然訳者の感性が関わってくるのはもちろん、
当時の日本語や現代の日本語に対する考え方が反映する。
そうした問題意識の現われの結果としての主観性の枠内ではあるものの、
「平安の人々が読んだ感触にできるだけ近い形」を目指して訳してみた。
具体的には、

・できるだけ文の構造、あるいは意味の流れは保存する。
・主語・目的語の付加に代表される「ゼロからの」補足説明はできるだけ避け、
 どうしても必要な場合は最低限の微調整(訳語の選択等)で状況が飲み込めるようにする。
・ただし原文で(陳述の部分的省略による)論理の飛躍と見える箇所は、
 接続助詞の訳を、省略されているはずの内容が推測できるように調整する。
・敬語表現は主語を推測する重要な手がかりなので訳出するが、
 文中で主語が転換してない部分では、冗漫さを避けるためにその内のいくつかを省く。
 最高敬語など、敬意の度合いによって現代語でも敬語の仰々しさを調整するが、
 「尊敬+謙譲」の二重敬語では、敬意は別の部分に移す等して、原則謙譲語のみにする。
・語りの文は原文通り原則「丁寧体(です・ます)」でなく「常体(である)」を用いる。
 原文の簡潔かつ冷徹ですらある雰囲気を生かすためである。
 和歌においても、「詩境では社会的区別はいったん無効化される」との発想のもと、
 原文どおりの常体を採用すことにする。
・漢語は少なめに、特に近代漢語は控えるが、現代日本語にちょうど対応する概念がない、
 あるいはそのまま訳すと現代語として冗長・不明瞭な場合などは、漢語も採用する。
・助動詞や助詞(特に係助詞、例えば「は」「も」は現代と相違する)のニュアンスに気を配る。
・これに関連して訳するに当たっては現代語の語気詞の表現力を生かし、
 会話文中のある種の毒や、語りの文に見られる作者の批判精神が感じられるようにする。
・和歌の訳は拙いながらも現代詩ふうの形式を採用し、
 掛詞や本歌による意味の多重性がそのまま理解できるように訳し開く。

なお、訳にあたっては、「源氏物語の世界 再編集版」を参照しました。

===============以下訳文===============




花散里

 自ら招いた人知れぬ恋の懊悩はいつ終わるとも知れない、というご様子であるだけならまだしも、身を処し世を過ぐすにあたっても、こうも煩わしく心乱れることばかりうち続くので、気持ちも弱りがちでもう世の中何もかもが嫌だという気分に傾いてらっしゃるが、それでも情事は事欠かない。
 かつて麗景殿の女御と称された御方は、宮様方もおありではなく、桐壺院がお隠れになった後はいよいよ物寂しいご様子なのだが、そこをどうにかこの源氏の大将の後ろだてのもとで暮らしていらっしゃるに違いないのである。
 つまりは、その方の二番目の妹君と内裏のあたりで儚くも逢瀬を重ねていた、ということがあって―あのご性分だから忘却の彼方、というわけではないにしても格別に情をかけているのでもないのだけれど―近頃諸事につけての世の無常に煩悶頻りとなってみると、どうやらその女君にばかり心の磨り減る思いをさせてしまっているようだとも思い出され、すると名残惜しさにじっとしてはいられなくなってきて、梅雨の合間に爽やかに晴れたのを見計らってお出かけになる。
 身分相応の装いはやめて目立たぬようになさり、先払いもないご微行で中川のあたりを通りがかったところ、木立なども趣味良げにしてある小ぢんまりとした家で、よく響く琴を東琴に調弦して奏で合わせていて、何とも賑やかな様子である。
 その響きが御耳に止まったのは門の近辺であったから、少々乗り出して中をお窺いになると、桂の大樹からの薫風に葵祭のころが思い出されて、何とはなしに心の惹かれる風情であったところ、「たった一夜逢った人の家だ」とお気づきになる。何か因縁めいていて「ずいぶん前のことだから、もうはっきりとは覚えてないかな」と気後れはするものの素通りもできず、ぐずぐずしていらしたその時、ほととぎすの鳴き声があたりに響いた。何か促すようなふうであったので、車を引き返して、いつものように惟光にお取り次がせになる。

いくども、いくども鳴くほととぎす
姿を現し語りかけてくれたよ、垣根の上から
君と出逢ったこの宿に、私もまた戻ってきた
戻ってきた恋の思いに堪えられなくなって

 中に入ると寝殿らしき建物の西側に女たちがいて、前にも聞いた声がするので、様子を見計らって改まった声で伝言をお伝えする。漏れ伝わってくる若やいだ雰囲気からは、どうやら事情がはっきり見えていないらしい。

確かにほととぎすは語りかけてくれているよう
あなた様の言い寄る御言葉も、例の如くなかなかなもの
それにしても五月雨の空は、何とぼんやりとしたものか
あんまりわけが分からなくて、あてにもならない…


 返ってきた歌はいやに韜晦の色が濃い、と見て取って、
「もういい。花も散り季節も移って、昔の垣根も見分けがつかなくなった、ということか」
と言って出て行ってしまう、その姿を秘めた心に口惜しくも愁わしくも思う人もいるのであった。
一方、
「そんなふうに包み隠すべき事情があるんだね。世のならいでもあるから、仕方はないのだけど。…あのかわいらしい筑紫の五節は、こういう身分だったっけなあ」
とさっそく追憶に浸っていらっしゃる。
 何につけても心の落ち着く暇はなく、憂愁は深くていらっしゃるようである。歳月が流れ、それでもこんなふうに昔逢った相手に情をおかけにならずにはいられなかったりするので、かえって数多いる方々の物思いの種である。
 例の、そもそものお出かけ先は予想した通りで、訪れる人もない侘び住まいをなさっている様子を見るにつけても、たいそうおいたわしい。始めに女御のいらっしゃるほうに行って、昔のことなどをお話してしているうちに、もう夜は更けていた。
 二十日の月の光がようやく差してくると、高い木立ちの蔭で辺りはいよいよ暗がりの風情となり、傍の橘もふんわりと香って、女御はお年を重ねたご様子であるけれど、あくまで挙措は端正、嫋嫋たる中にも気品がおありである。
「君寵並びなくこの世の春、とはいかなかったけれど、感じが良く打ち解けやすい后とはお思いあそばしていたのに」
と追想申し上げていると、昔のことが次々と思い出されてお泣きになる。
 ほととぎすが、先ほどの垣根にいたものであろうか、同じ声で鳴く。「後を慕って来たのだな」とお思いになるのも風流なことよ。「はるか遠くへと去った昔、再び会い振り返れば蕭条たる思い、どうして聞き知ったのだろう、ほととぎすの鳴くのが聞こえる、あの時の声で」などと声をひそめて口ずさんでらっしゃる。

橘の花が香り、
よみがえるあの人の思い出
慕い鳴くほととぎすも
そうして心誘われ、
もうここまで来ているよ、
この白い花散る里へと

「忘れようもない過ぎ去った日々の慰めには、やはりお伺いすべきだったのですね。ほんとうに、気の紛れることも、感慨の増すことも頻りなのですよ。世の人は時勢に従うのが習いだから、昔のことなどぽつぽつ語り合うような人は数少なになっていくけれど、しかしこれではいっそう物寂しさもやるかたなくお思いでしょう」
 と申し上げると、世情はもう言わずもがななこととはいえ、有為転変のさまざまが身にしみていらっしゃるようなご様子で、それがお人柄ゆえなのか、ますます不憫でならないのだった。

訪れる人とて稀な
荒れ果てたこの住まい
軒端に触れんばかりに茂った橘
その花だけが誘うたよりとなった
鳥も、人も

とだけお答えなさる所が、「それでも他の人からは抜きん出ているなあ」と思われて、つい引き比べておしまいになる。
 西側のお部屋にはさりげなく足音をひそめてお渡りになるが、そっと中を窺うお姿も久方ぶりであるのに加えて、世にも稀な麗質に輝いてらっしゃるので、孤閨の辛さも忘れてしまいそうである。あれこれと例の如く人当たり良くお話になるのも、きっと心にも無いことではないのだろう。
 仮寝でも逢った相手はみな、並の生まれではなく、人さまざまとはいっても愛想が尽きるような方はいないせいなのか、あくまで風采雅びやかに、我も人もと情を交わしつつ日々をお過ごしになるのだった。それが気に入らない人は、あれやこれやで入れ替わっていくが、それも「そういうものだ、男女の間というのは」と思うことにしていらっしゃる。先ほどの垣根の君も、そのようなわけで立場を変えたらしいのであった。




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(訳しての感想)
正直これほど時間パフォーマンスの悪い訳業はなかった…。
古典ギリシア語を訳するのよりも大変だったのではないか。
主因は「要求度の高さ」による訳語の吟味だが、
「言文一致」という名の認識・発想の西洋化・近代化を蒙っていないせいもあるかも。
(とはいえ、軍記物などではここまで隔絶を感じないので、
 武士の世以前という現代日本社会からの「遠さ」、
 あるいは単に宮廷の特殊性かもしれないが)

by bulbulesahar | 2016-05-10 03:20 |

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