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中島丈博の昼ドラが好きすぎてたまらない   

我ながらいつもブームに乗り遅れているなあ、と思いつつも。
去年から中島御大脚本の「さくら心中」を見て、
DVDで「真珠夫人」や「牡丹と薔薇」も見た。
今は「偽りの花園」に突入中。(「麗わしき鬼」、DVD化は無理なのかな…)

思えば、およそ10年前に真珠夫人の一部をチラッと見て激しく心惹かれたものの、
「昼ドラにはまるなんて恥ずかしい」などという下らないプライドが邪魔をしたために、
自分から見てみようとはしなかったのだが、
いやはや十年の年月で私も随分と自分の心に素直に、といえば聞こえはよいが
本能に忠実になったものだ。

現実離れしたロマンティックラヴに、
輪をかけて非現実的な事件が怒涛のように押し寄せる展開。
登場人物は現代ものですら大時代的な、芝居がかった台詞を操る。
人間関係・肉体関係はクモの巣のように錯綜し、
観ているほうも、キャラクターの心情の変化にちゃんとついていこうとするなら
ちょっとした頭の体操になってしまう。
以上のように、絵に描いたような通俗的なメロドラマだと切り捨てることもできそうだ。
その上、男女の性的役割分担がはっきりしていて、
ヒロインの主たる収入源は、男(夫、愛人etc.)のほうからやって来ることが多いし、
純潔性に強迫的に執着するような傾向
(「綺麗な体で貴方のもとへ戻ってきます…(真珠夫人)」
 「零時きっかりに、私たちは同時に処女を捧げるの(牡丹と薔薇)」)もあり、
これは普段の自分の感覚でいたら、
見ていて決していい気はしないはずなのだが…。

でもはまってしまうんだなあ。
というわけで、その理由を自分なりに考察してみる。


①恋愛の脱神秘化

中島作品においては主人公たちの恋愛が
ストーリーを貫く太い糸になっているのは確かなのだが、
恋愛の描き方は戯画的というか、醒めていて、
かなりアイロニカルなものである。
しかも「純愛」をこれでもか、というほど盛り上げることでそれを達成する。
愛し合うカップルに対して作品から直接非難の矢が向けられることはないが、
彼らの愛の炎に巻き込まれる形で、
周りの人々が不幸になるのが通例なので、その純愛はきっちり相対化されている。


②女どうしの愛憎の絆

実はこちらのほうが中島作品に通底するテーマなのではないかと思う。
権力や金をめぐって男たちが戦う「公の世界」とは
一味もふた味も違ったルールで女たちの情念の戦争が展開される私秘的な空間。
(↑まあ、この二項対立も多分に男の側から想像されたものではあるのだが…)
男たちは力づくで女たちを従えようとするが、
女たちは色香や弁舌を武器にして、したたかに対抗していく。
そうはいっても女性が男性支配に対して団結して闘ったりすることはなく、
むしろ男が原因となって女どうしの間で愛憎の花が咲き乱れるのが常道である。
ここがなんともリアリスティックというか(失礼)、味わい深いところではあるが、
しかし、重要なのは中島作品における女性の感情には「愛憎」とあるとおり、
凍りつくまでの純粋な憎しみが表現されることは稀だということだ。
彼女たちの感情は愛するが故に激烈であり、
そのせいで人もよく死ぬが(←オイオイ)、
どんな奇矯な行為も、相手を滅ぼすためというより、
自分に対する愛を求めていたのが行き過ぎてのこと。
男が関わることで巻き起こった嵐が過ぎてみれば、
女性どうしの絆の深さが再確認される(「牡丹と薔薇」ED)…かもしれない?


③極限状況による問題提起

中島作品では、スキャンダラスな効果を狙ってのことなのか、
普通では絶対しないような非常識な行動をキャラクターにとらせることがままある。
例えば、「真珠夫人」では夫直也の心に別の女がいることに感づいた登美子は、
復讐のために、その女(←ヒロインの瑠璃子だが…)が経営する遊郭で体を鬻ぐ。
全く常軌を逸しているとしかいいようがないのだが、ここには、
「愛のない結婚生活での専業主婦業は、
  ひょっとしたら売春に近いのではないか?」
というような問題提起が隠されているように深読みしてしまう。
このように、中島作品では、スキャンダラスな発言や行動によって、
普段何気なく従っている恋愛や結婚の規範・コードを表面化させ、
それに疑問を投げかける場合が多いように感じられる。
ただ、その問題提起が深刻になりすぎず、
行動のセンセーショナルさで中和されているというか、
有耶無耶にされることでエンターテイメントとして成立させているところは、
やはり巧いというべきか。


④登場人物が歯に衣着せぬ物言い

日本人的な曖昧さ、奥ゆかしさはどこへやら。
あれだけ思っていることをはっきり言語化して
相手に言い放つところには、何かしら爽快感を感じてしまう。
セリフの少ない映画作品とかも好きではあるけれど、
言葉を軸に心情が分析され、それをもとに他の人の心も動いていくというのは、
リアルな世界とはまた違った数学的ともいえる明快さがあり、嫌いではない。


とりあえず、このくらいに。
思いついたらまた追記するでしょう。



おまけ
真珠夫人より、有名な「たわしコロッケ」のシーン
登美子さんの表情が堪りません!!

by bulbulesahar | 2012-02-20 23:23 |

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