隣の隣さんのブログ記事にたいするコメント   

滾滾録を介してお隣のお隣さんにあたるブログ、
いろえんぴつ の2011年12月20日付けの記事

「大学教員の仕事」

に対してコメントしようと思ったら長くなってしまったので、
(950字前後のところ、900字削れとの表示がでたので、
 さすがに分割コメントするのもどうかと思われた)
以下に置いてコメントの代わりにしておきます。
もっと上手い方法があるのかもしれませんが、無作法をお許しをば。



==============以下コメント====================

隣の隣から失礼してすみません。
とても興味深く読ませていただきました。



ここで問題になっているのが、
学部生なのか、院生なのかは分かりませんが、
自分が留年したときのことを考えてみると、
確かに研究会報告に対する反応
(後から思い直すと、こちらの未熟にも原因があるが、
 研究領域やアプローチのちがいもあって
 建設的な議論にしようという気が向こう側にあまり感じられなかった)
というのは一つダメージになったような気はするけれど、
研究にまつわるいろいろな悩みや迷いのほうが主因で、
それがなければ傷にはならなかったかなと思います。

博士ぐらいまで行っていれば、先生方の意見も相対視したり、
少し力を抜いて受け止めたりできたんだろうけれど。


教員と学生の関係性は良かれ悪しかれ
「評価」を介した権力性を孕むこともあって、
教員側がいくら愛情を込めて指導したつもりでも、
学生側がそれを好意的というか生産的な形で受け取るとは
限らないのは致し方ないところもあるように感じます。

コミュニケーションが温かな雰囲気で
進むに越したことがないのは確かに一理あって、
仮に学問的シビアさを標榜するあまりに
自己満足的な批判の鋭敏さにのみに傾くとしたら、
それはどうかなとも感じられます。

反面、意思疎通が上手くいかなかった場合に

「手強い相手を闇雲に拒絶するのでも、
 その批判と完全に自己同一化して自分を見失ってしまうのでもなく、
 彼我の長短を冷静に分析して得るべきもの得る」

というようなバランス感覚を身につけることも社会生活上必要なことで、
それは実地で学ぶしかないのも事実のように思います。



私の場合は突如学校に来なくなるまではいかなかったけれど、
留年して悶々とした経験も、(あくまで今から見ればに過ぎませんが)
いくらかは自分の糧になったとは思っています。

ですから、同調的コミュニケーションでもなく、
また単なる非難の応酬でもない、
本来の意味での「批判的」コミュニケーションに
慣れていない学生が増えているのならば、
「水に慣れさせる」ための工夫はある程度は必要なのかもしれませんが、
ショックを与えてしまう結果になっても、
それは必ずしも悪いことではないように思います
(病気になってしまう可能性もあるので、結局断言はできませんが)。



長文、もし見当違いの論旨になっていたらすみません。それでは。


======================================

あとは感想めいたもの。

「タイムマネジメントは大人の自己責任だと思っているので」

はい、全くその通りです(泣)。

なんだか馴れ合ってたりするうちに怠惰に落ち込んだり、
興味が分散しまくったりしている私としては、
清清しい痛みを感じる発言。
やっぱこういうことを言ってくれる人って必要だって(←これも甘えかな)。
[PR]

by bulbulesahar | 2012-02-01 00:51 |

<< DQII(FC)-EDについて... A thousand year... >>