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ad societatem apertam   

「われわれはみな同じ」ということが前提になって話が進むような集団は、
まあ内輪で盛り上がるにはいいのかもしれないけれど、
わたしは置いてけぼりをくうことが多く、どうしても苦手だ。

そういう場所でも、「自分はちょっと事情がちがうんです」ということを、
友好的な態度を崩さずに、しかもはっきりと言えて、
周囲にもそれほど悪印象を与えないようなスキルというか、
人格的成熟のようなものが自分にあればなあと思うのだけど、
なかなかに難しい。

さて、今回はゲイ・コミュニティの話。
とはいっても現時点では自分とこの業界との接点はないに等しく、
過去のちょっとした出来事の記憶と流布している情報をもとにした
妄想の入った話になることをお許し願いたい。







わたしは男性に恋愛感情を抱くことが多い生物学的男性である、ということで、
そこに注目すれば「ゲイ」という括りに入ることになるのかもしれない。
かなり昔にゲイバーに行ってみたこともあったのだけど、
結局なじむことはなかった。
その理由を以下に列挙してみることで、自分とゲイ業界との距離感を測ってみることにする。


① そもそも自分に「ゲイ」自認がなかった

これは後々よりはっきりしてきたことだけど、自分に男性自認は基本的にない。
しいて言えば[中性」か。
(さすがに対外的に男性であることは認識できるが)
また女性の魅力に対して感受性がないわけでもない。
(ステレオタイプな男性役割を求められるのは全然ダメだけど。
 もしかしたらトランスレズビアンというかなりニッチな方向性もありえたかもしれない)
また、性自認・性的指向も時により多少変動するし、それも悪くないと思っている。
あと男だけが集まる集団に入っていくのは異分子感が強くてどうにも苦しかった。
これはやっぱりトランス分が濃い、ということに起因するのか?(女性に甘えてるだけかも)

こう考えてみるとやはりゲイ業界に参入する要件を備えてないように思えるが、
同時に多少トランス入ってたり、バイだったりする人も
ゲイ・コミュニティには確かに存在しているだろう、とも思う。
一体どう折り合いをつけているんでしょう、みなさん。


② 文化的同調圧力に辟易した

「ゲイのライフスタイル」とか「ゲイとしての人生観」とか、
もともとは本人たちの自尊心向上というか、
エンパワーメントのために生まれたものなんだろうけど、
多分に商業主義的なメッセージや会社資本主義の絶対視の傾向があって正直ウザかった。
(会社では有能、ヴァカンスはきっちり楽しむ的な、…て書いてるこっちが馬鹿らしくなってきた)
まあゲイの大多数たる会社人が人生の指針を求めるとこうなりがち、という背景は理解しますよ。
でもそんな価値観に踊らされるのに気づかないのはまだしも、
傍からみてもどこか切羽詰っているような感じがしてしまうのはどうなんでしょう。


③縦割りの閉じられた自由の息苦しさ

セクシュアリティごとに集団を細分化して、その中で同質性を前提にしたコミュニケーションをする、
たしかに効率的だし、同じ立場に固有の話題というのもあると思う。
それに「出会い」の点でも便利なのはいうまでもない。
でも違う意見があることを考えに入れない、
得体の知れない場の空気にただ流されるより他ない場所というのは自分には恐ろしい。
(これもかなり前にセクシュアル・マイノリティ系の団体にいってみたときに、
 その中の「ゲイ部門」に仕分けられそうになったときは頭の中が疑問符だらけになったな。
 多少なりとも社会運動系要素の入る団体で、互いに排他的に部門分けする必要があるのか?)
それからオフでここは自分たちだけが主役とばかりに内輪的にはじける、というのは
日常生活では違うセクシュアリティを演じる(or演じるべき)ということの陰画のようにも思えて、
「これが自由だというのか?」と暗澹とした気分になったりもした。
(ゲットー的自由と形容したら、語弊が過ぎるだろうか)
まあ、現状で日常生活でのさりげないカムアウトというのはまだ容易ではないから
分からないでもないのだけれど、
その歪みが憩いの場の抑圧性につながるのは嫌だし、少なくとも自分の路線ではないなあと。


④社交能力

実はこれが最大要因かもしれない、おそまつさまでした。
ただ、セクシュアリティが近いだけで気が合うわけではないのは当たり前。
以下非常に嫌味な書きぶりになるけれど、
自分のように学歴社会の頂点に近い場所に位置してしまう人間と、
一般の人々との間で、文化的背景、物の考え方、物事への興味の持ち方が
かなり違うのは、(どちらがエライとかそういう問題ではなく)いかんともしがたい。
(しかも自分は同じ大学の学生の中にあっても、
  大勢の興味と合致する部分が少ないほうだろう)
この文化的差異は、下手をするとヘテロ・ノンヘテロの差より大きく感じられることも多いのでは。
まあわたしがもっと強靭な対人能力を持っていれば何の問題もないわけだけどね。


以上つらつらと書いてみて、ことセクシュアリティという問題がからむと
自分の居場所というのはなかなか見つけにくいなあとの思いひとしお。
(以前いたLGBT系映画祭実行委員会はその点非常にオープンで良かったのだけれど)
まあとんでもなくワガママなだけかもしれませんが、
「出会い」よりも「安心」を優先するととこうなってしまうのかな。

by bulbulesahar | 2010-01-12 13:12 |

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