verba dispersa recolligens...   


星ぼしのざわめきに身を泳がせる魚たち

かれらの歌や口笛の音

帆立貝のかすかなため息が

蒼い媒質をわたっていく

それをあおぎつつ

ことばが甕を満たしつつあるのを聴く 

結晶の胚種が透明な幹と枝を伸ばすさまを

澱を揺り動かさないように 

部屋の中でじっと見守る



修士論文提出しました。
とりかかりの遅さ、そして嘆かわしいほどの遅筆で
最後は時間切れ気味となりました。(註釈つけるのにあんなに時間がかかるとは…)
遅いだけあって個々の文章は、晦渋ながらもある程度は彫琢刻鏤のあとがみとめられ、
結論自体は、一応満足できるものが書けたものの、
そこに至るまでの過程がかなりアクロバティックなことになっているような気も。
見直しの時間のためにも執筆は計画的に。
今はそれをいっても詮ないことなので、
inquisitionをなんとか言い抜ける準備をすることにしましょう。

論文冒頭のエピグラムには、新約聖書のコリント書一から

それは、このように書いてあるからです。
「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、
 賢い者の賢さを意味のないものにする」
知恵のあるものはどこにいる。学者はどこにいる。
この世の論客はどこにいる。
神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。…


云々を(ギリシア語原文で)とりました。
いや、研究対象をうまく象徴しているから引用したんですよ。
過剰にネガティヴに解釈する必要もございません。
晩年、突然著述活動を停止したトマス・アクィナスが
「わたしの書いたものは、みな藁くずのように思えるのだ」
と述べたとかいう故事も思い出されます。
「学識」と「知恵」の関係、
(エピステーメーとソフィアの違い、といってもよいか)
その中にはなにやらただならぬものがある。


卒業論文提出のときのような強烈な開放感はなかったなあ。
ただ、ささやかな達成感を我にゆるしたまえ!
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by bulbulesahar | 2010-01-08 08:46 |

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