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soliloquium   

「彼女いないの?」  これはいい。

「男が好きなの?」

その場で返答に困り、 後で多少憤然とする。

あの躊躇は「バレる」ことがやっぱり怖いのかと思ってみたりもしたが、
予想される人間関係のやりにくさという可能性を考慮にいれてもそれは違うような気がする。







この、あまりに無邪気な、無防備でさへある問いかけに答えられる言葉をわたしは知らない。

そもそもの答へが、大げさな身振りでの「否認」と取り決められし、
おそらくは殆ど形骸化した修辞疑問文を発する意味は奈辺にやある。


予想外の答えが返ってくるとつゆもえ知らず、この言葉を投げる者に対し、
率直なところを述べるのは、あまりに奇襲じみて申し訳なく、
ありていにいへば、そのやうな率直さ以て遇するに値しない態度である。
だいたいこちらと向かうではその応答に賭けられるものの差があまりに大きいといふ、
その場に出現した関係の非対称性に対する居心地の悪さが、
わざわざ真剣勝負するといふ気力を阻喪させる。


「うん、実はさうなんです」
と答へたところで、わかった気になられるのも癪なうへに、
それで「自分の真の姿」を対外的に示すわけでもなんでもなく、
どことなく話がすれ違ったまま、
こちらが何か既存の一定のイメージの再配分に与るだけに終わるのならば、
真面目に答えるのも馬鹿らしくならうといふものを。

ただ、全否定するのも後味が悪いので、適当に煙にまくのを常としています。
(いつもうまくできてるのかは微妙)
なにかよい応へかたはないものでせうか。

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自分が「おおむね男性に愛着を抱くことが多い生物学的男性」ということをもって
ゲイであるとされるのなら、そのことはそのカテゴリーに一応入って、
そのようなものとして了解される、というような、
間借り人的な位置に留まるのだろうと思う。
(大家との関係は自由契約でもないから、なかなか難しいものである)

そもそも自分には男女の性別の意識が希薄だし、
(そのことが受容できて却って身体・振る舞いの男性性を一種の演じるもの、付加的属性として許容できた感じ)
相手を好きになる機序にも「同性性に萌える」という契機はあまり介在していない模様。
ゲイカルチャーにおいて主に商業的に流通する肯定的(?むしろ扇情的か?)なゲイ表象に対しても、
「気持ちはわかるけど…」というかそれに全面的に共感+同一化しないことのほうが多いか。

自分が○○だ、などとすぐに言える場合はそうあるわけではない。
あまつさえ、内面はさておき人間関係上は性的に非存在に等しい、という現状では、
カムアウトに説得力がないんじゃないか(笑)とおもってみたりして…。


…今日は別に何もなかったのに、何で急に書く気になったんだろう。

by bulbulesahar | 2009-07-01 23:23 |

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