久しぶりに、「初めての海外旅行」   

随分間が空いてしまった。
やはり気負いすぎかな。

3月末から4月上旬までトルコへ旅行していました。
とはいっても親のツアーについていった形ですが。

始めての海外だったのだけど、
事前知識が多かったのと、トルコも結構現代的な部分が大きくなっていて、
(まあ円高でホテルのランクが良かったのもあったのだろうけど、テレビのCMとか、スーパーとかは日本とそんなにかわらない感じでした。)、
加えて至れり尽くせりのツアー旅行のおかげで、別にそんなに驚くような出来事や強烈な感激があったわけではありませんでした。(観光地の至る所にいたネコたちには癒されましたが)

(でも、ツアーから少し離れてアヤソフィアやchora修道院、テオドシウス城壁などのビザンティン系の史跡に行ったときは、しみじみいとあはれな気持ちには満たされましたよ、特にchora葬祭用聖堂にあるの再興者テオドロス・メトヒティスの家族と思しきフレスコ画には、日ごろ悪しき個人主義と名高い?「ビザンツ人」にも家族愛はあったのねと感じ入り、近くの最後の審判やアナスタシス(冥府降下)のフレスコ画と相まって死後の平安を願う厳粛かつ穏やかな雰囲気が醸成されていたように思われました)

しかし、日本に戻ってから、逆に日本がちょっと異質に思え(何より蒸し暑くも感じ)、
トルコが懐かしくなってしまいました。
自分が、日本文化というか、日本人の行動様式に完全に同化し切れてないことを改めて経験させられたようです。別にトルコに馴染んでいたわけでは全然無いけれど、異邦人であるならば、自分も異国にいるのだという前提があって、相手方からも最初からそう思って対処してもらえるほうがラクなのかもしれない。

ツアーというのを少し馬鹿にしていたところはあったけれど、
名所を素早く楽に回るには確かに便利だと実感。
ちょっとだけ自由行動したときは、やっぱりいろいろ気が疲れたし。

あとガイドさんとの出会いも有意義だった。
恐らくトルコにおいてはかなり高学歴の部類に入る女の人で、
国内・国際の政治に対する問題意識をはっきり持っていたので、
いわゆる素朴なところがないぶん、見解の相違もあいまってちょっと疲れたけれど、
モダニストであり、アタテュルク礼賛の気配はあるものの、
ガチガチの共和主義者(ケマリスト)の世代とは違う新しい潮流を感じました。

そういえば、トルコ石の販売店の店員さんでトルコ人とギリシャ人が結婚していたのにはちょっとびっくり。
今も昔も政治的対立を超えてでも人々の出会いは成就するのですね。

今度いくときは単独で、イスタンブル近郊や黒海地方、あわよくば東部にもいってみたいな…
(トルコ語の会話とリスニングを強化せねば、でもどうやって?)
でもその前にギリシャに行くかもしれないなあ。

1つの教訓:日本でトルコ時間(-6~7H)で暮らしていても時差ぼけは緩和されなかった(特に帰還時)。
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by bulbulesahar | 2009-04-21 03:47 |

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